研修当日の空気は、たいてい良くなります。普段は口数の少ない社員が声を出し、部署の違う人同士が肩を叩き合い、終了時のアンケートには前向きな言葉が並ぶ。写真を見返せば、全員が笑っています。
問題は、その3ヶ月後です。
「いい研修でしたね」と言われた3ヶ月後
ある製造業の会社で、30名ほどの研修を担当したことがあります。目的は部署間の連携改善。営業と製造の間に長く溝があり、それをどうにかしたいという相談でした。
当日は、レーザー銃を使ったチーム対戦を行いました。前半戦、営業チームは勢いだけで突っ込んで全滅します。休憩を挟んで作戦会議に入ったとき、それまでほとんど発言のなかった製造部門の若手が、地図を指さしながら「ここに二人残しておかないと、後ろから来られます」と言いました。周りが黙って聞き、そのとおりに動き、後半戦は勝ちました。
終わったあとの振り返りで、営業部長がこう言いました。「彼がああいうことを考えていたなんて、知らなかった」
満足度アンケートは5点満点で4.6。自由記述欄には、普段話さない人と話せてよかった、視野が広がった、また参加したい、という言葉が並びました。人事の担当者も手応えを感じていたと思います。私も、いい一日だったと思って帰りました。
電話をもらったのは、それから3ヶ月ほど経ってからです。
「実は、あんまり変わってないんですよね」
営業と製造の関係は元に戻っていました。研修の話題が社内で出ることもなくなり、役員から「あれ、効果あったの」と聞かれた担当者は、うまく答えられなかったそうです。写真は残っている。感想文も残っている。けれど、職場は研修前と同じでした。
こういう話は、珍しくありません。
これまで200社以上のご支援をしてきましたが、当日の評価が高かったにもかかわらず何も残らなかった、というケースを何度も見てきました。逆に、当日はそれほど盛り上がらなかったのに、半年後に「あれから変わりました」と連絡をいただくこともあります。当日の満足度と、その後の変化は、思っているほど連動していません。
ここで多くの担当者が考えるのは、「研修の内容が合っていなかったのではないか」ということです。もっと自社に合ったプログラムがあるのではないか。もっと効果の出る手法があるのではないか。そうして次の研修を探し始めます。
ただ、先ほどの製造業の例で言えば、あの一日そのものは機能していました。営業部長が部下の思考に触れた瞬間は、確かに起きています。あそこで起きたことは本物でした。
失敗していたのは、当日ではありません。その前と、そのあとです。
もっと言えば、何を目的にその一日を置いたのか、終わったあと誰がどう関わるのか。そこが設計されないまま、一日だけが単独で存在していた。だから3ヶ月で消えたのだと、今は思っています。
効果が出ない研修は、順番が逆になっている
提案の場で、役員の方からこう聞かれることがあります。
「で、これをやると離職率は何パーセント下がるんですか」
もっともな問いだと思います。会社のお金を使う以上、何を得られるのかを説明できなければ稟議は通りません。担当者もそれを分かっているから、企画書に「生産性向上」「エンゲージメント改善」といった言葉を並べます。
ただ、この問いの立て方そのものが、研修が効かなくなる原因になっていることがあります。
組織の変化には順番がある、という考え方があります。マサチューセッツ工科大学のダニエル・キム教授が提唱した「組織の成功循環モデル」です。組織には四つの質があり、それが循環しているという整理をしています。
関係の質。思考の質。行動の質。結果の質。
うまくいっている組織は、この順番で回っています。互いに関心を持ち、言いたいことが言える関係があるから、社員が自分の頭で考えるようになる。考えるから、指示された以上の行動が出る。行動が変わるから、結果が変わる。そして結果が出ると、また関係が良くなる。
問題は、多くの組織がこの循環を逆から入ろうとすることです。
数字が足りない。だから会議で詰める。詰められた側は言い訳を用意するようになり、都合の悪い報告が上がらなくなる。本音が消えると、余計なことは考えなくなる。考えないから、言われたことしかやらない。結果はさらに落ちる。だからもっと詰める。
これが悪い循環です。手を打っているつもりで、実際には循環を逆回転させている。多くの会社で起きていることだと思います。
研修も同じ構造に巻き込まれます。
離職率を下げるために研修をやる。生産性を上げるために研修をやる。目的としては何もおかしくないのですが、その意図は参加者に伝わります。会社が数字のために自分たちを集めた、と受け取られた瞬間、その一日は業務命令になります。
業務命令として参加している人は、当日それなりに楽しみます。用意されたゲームには参加するし、笑いもする。ただ、そこで出てくる言動は、業務中のそれとあまり変わりません。無難な発言をし、目立ちすぎないようにし、時間が来れば帰る。関係の質は動きません。
研修が本来触れられるのは、四つのうち関係の質の部分です。そこにしか触れられない、と言ってもいいと思います。思考も行動も結果も、日々の職場で変わっていくものであって、一日で変えられるものではない。
だから研修の目的を結果の質に置くと、噛み合わなくなります。触れられない場所に狙いを定めているので、当たりません。当たらないから「効果がなかった」となる。
冒頭の製造業の例で言えば、あの日に起きていたのは関係の質の変化でした。営業部長が、製造部門の若手が何を考えているかを知った。それは確かに一段動いています。
ただ、動いたところから先が続かなかった。一段上がったものが、翌週には元の高さに戻っていた。
このあたりを詰めていくと、関係の質という言葉が大雑把すぎることに気づきます。良い、悪いの二択ではありません。段階があります。そしてチームビルディング研修の多くは、その段階のうちのごく手前までしか動かしていません。
関係が良いとは、どういう状態を指すのか
「うちはチームワークは悪くないんですよ」
打ち合わせでよく聞く言葉です。実際に職場を見せていただくと、確かに雰囲気は悪くありません。挨拶はある。雑談もある。飲み会にもそれなりに人が集まる。ぎすぎすした空気はどこにもない。
それでも研修の依頼が来るのは、何かが足りないと感じているからです。ただ、その何かを言葉にできない。だから「もう少し一体感を出したい」といった曖昧な依頼になります。
200社を見てきて思うのは、関係の質というのは良い悪いの二択ではないということです。段階があります。そして、段階が違うと、同じ「仲が良い職場」でも起きることがまったく違います。
一番手前の段階は、必要な業務連絡だけが行き交っている状態です。相手が何を考えているか、どんな経緯でこの会社に入ったか、家に帰って何をしているか、誰も知らない。知る必要がないと思っている。ここは、ぎすぎすはしていません。むしろ静かです。
その次に、互いの背景を知っている状態があります。あの人は前職で営業をやっていた、子どもが二人いる、実は釣りが趣味らしい。この段階になると、雑談が生まれます。飲み会も成立します。多くの会社が「うちはチームワークが良い」と言うとき、指しているのはこのあたりです。
ここから先に、もう一段あります。困っていることを言える状態です。
これは大きな壁です。背景を知っているのと、弱みを見せられるのとの間には、かなりの距離があります。今の案件が回っていない、正直この進め方に納得していない、自分にはこの仕事は荷が重い。そういうことを口に出せるかどうか。
出せない職場では、問題は必ず手遅れになってから表に出ます。担当者が一人で抱え、抱えきれなくなって、期限の直前に発覚する。上司は「なぜもっと早く言わなかった」と言い、部下は次からもっと言わなくなります。
さらにその先に、目的を共有している状態があります。何のためにこの仕事をやっているのかが揃っていて、だから多少もめても方向がずれない。この段階まで来ると、部署が違っても話が通じます。指示を待たずに動けるチームは、ここまで来ています(参考:自走する組織とは|指示なしで動くチームの特徴・作り方・成功事例を完全解説)。
ここまで並べたところで、本題です。
チームビルディング研修の大半は、二段目までしか動かしません。
背景を知り合う。打ち解ける。普段話さない人と話す。それがゲームやアクティビティで起きることの中身です。そして二段目までなら、正直、研修でなくてもできます。飲み会でもできるし、社員旅行でもできる。だから「楽しかったけど、それだけだった」という感想が残ります。
冒頭の製造業の例に戻ります。
営業部長が製造部門の若手について「彼がああいうことを考えていたなんて、知らなかった」と言った。あれは背景を知った瞬間です。二段目に触れています。確かに何かが動いていました。
ただ、あの若手が翌週の会議で「この納期は無理です」と言えるようになったかというと、それは別の話です。三段目は動いていない。だから3ヶ月で戻りました。
もう一つ言うと、段階は一日で二つ上がりません。
これは何度も確認してきたことです。三段目には、時間と反復が要ります。一度言ってみて、受け止められた。もう一度言ってみて、また受け止められた。それが何度か続いて、ようやく「ここでは言っても大丈夫らしい」と体が覚える。一日で「今日から本音を言い合いましょう」と宣言しても、翌日の職場では誰も言いません。
だとすると、研修の役割は何か。
一段上げることではなく、上げられる状態をつくることだと思っています。
さきほどの若手は、あの日「二人残しておかないと後ろから来られます」と言い、それが受け入れられて実際に勝ちました。あれは、言ってみたら受け止められたという経験です。三段目の一回目にあたります。
必要だったのは、二回目と三回目でした。翌週の会議で、彼が何か言いかけたときに営業部長が最後まで聞くこと。その次の月も同じことが起きること。それが積み重なって、初めて段階が上がります。
研修当日にできたのは、一回目をつくることまでです。二回目以降は職場でしか起きません。
そして誰も、二回目を用意していませんでした。私も含めて。
仲が良いことと、関係の質が高いことは違う
ここ数年、依頼の中に「心理的安全性を高めたい」という言葉が増えました。
グーグルが自社のチームを分析して、成果の高いチームに共通していたのは心理的安全性だった、という研究が広く知られたあたりからだと思います。話題になるだけの根拠がある考え方ですし、注目されること自体は良いことだと思っています。
ただ、現場で聞いていると、少しずれた受け取り方をされていることがあります。
心理的安全性を、誰も傷つかない場のことだと理解しているケースです。厳しいことを言わない。指摘しない。相手が落ち込むような話は避ける。そうやって全員が穏やかでいられる状態を目指す。
その方向に進んだ職場がどうなるかというと、静かになります。
誰も反対意見を言わない。会議は予定通り終わる。人間関係のトラブルも起きない。表面上は理想的です。けれど、期限が守られなかった理由は誰も掘り下げないし、うまくいっていない案件はそのまま放置される。問題を指摘することが、相手を傷つける行為になってしまっているからです。
これは安全ではなく、ただの遠慮です。
自衛隊にいたころの話をします。
演習中に、私が扱っていた装備の部品が破損したことがありました。金属疲労によるもので、使っている途中で突然折れました。
自衛隊では、訓練ごとに編成が組まれ、上に立つ上官もその都度変わります。そのときも、その訓練における上官がいました。私は破損に気づいてすぐにその上官のところへ行き、状況を報告しました。
ところが、その報告はすぐには上に上がりませんでした。
しばらくして、その訓練で最も上の立場にある人から、私が責められる場面がありました。なぜすぐに報告しなかったのか、という理由です。私がすぐに報告しなかったと受け取られていました。
その場には、私が最初に報告した上官もいました。けれど、報告を受けていたことも、自分のところで止めていたことも、最後まで一言も口にしませんでした。
もし同じことが一つの班の中で起きて、周りの隊員がそれを見ていたとしたら、どうなるか。
すぐに報告した人間が、報告を止めた人間の横で、報告が遅いと責められている。それを見た周りが受け取るのは、おそらく「早く報告しても、上は守ってくれない」ということです。だったら報告は少し様子を見てからにしようか。あるいは、その上官は飛ばして、直接もっと上に言ったほうがいいのか。どちらに進んでも、上官との間に本当のことを言える関係は残りません。
誰かがそう指示するわけではありません。それでも、全員が同じ結論にたどり着きます。そして表面上は何も変わらない。挨拶もするし、冗談も言い合う。仲は悪くない。ただ、肝心なことだけが上がってこなくなる。
外から見れば、問題のない班に見えるはずです。
その後、別の訓練で指導を受けた上官は、まったく違う人でした。人に厳しくする前に、まず自分に厳しい人でした。何か起きたときに、自分が何を見落としていたかを先に口にする。この人になら、まずいことほど先に言えると思えました。
関係の質が低いというのは、仲が悪いことではありません。本当のことが言われないことです。
そして、この二つはぱっと見で見分けがつきません。むしろ仲が良いように見える職場のほうが、言いにくくなっていることがあります。せっかく良い雰囲気なのに、自分が波風を立てたくない。そう思えば思うほど、言うべきことが飲み込まれていきます。部下が指示を待つようになる背景にも、たいていこの構図があります(参考:指示待ち部下を変える研修プログラム5選|根本原因と解決策を元自衛官が解説)。
研修がこの構図を強めてしまうことがあります。
一日かけて打ち解け、互いの良いところを伝え合い、いい空気のまま終わる。悪いことではありません。ただ、それだけで終わった場合、職場に持ち帰られるのは「あの人とは仲良くなった」という感覚だけです。仲良くなった相手にほど、厳しいことは言いにくい。
三段目、つまり困っていることを言える段階に進むには、受け止められる経験のほうが要ります。言ったことで関係が壊れなかった、という経験です。
言い換えると、一度もぶつからずに三段目には行けません。
だから研修を設計するときに考えるのは、参加者が気持ちよく終われるかどうかではありません。負荷のかかる状況で、誰が何を言うのか。それが出たときに、周りがどう受け止めるのか。そこが見える場になっているかどうかです。
そしてこれは、当日のプログラムを選べば手に入るものではありませんでした。
うまくいった研修は、当日の前に半分終わっていた
問い合わせの電話は、たいていこう始まります。
「来月、30人くらいでやりたいんですが、空いてますか」
日程と人数です。これは自然なことで、担当者としては会場や予算を押さえるために、まずそこを確認したい。私も最初はそこから話を進めていました。
ただ、振り返ってみると、効果が残った研修の多くは、最初の電話の段階から少し違っていました。
ある会社では、本番までに三回打ち合わせをしました。人事の担当者だけでなく、二回目からは事業部長も入りました。その場で最初に聞いたのは、プログラムの希望ではありません。
「研修が終わって半年後、職場で何が起きていたら、やってよかったと思えますか」
事業部長はしばらく黙って、それから「会議で若手が反対意見を言うようになっていたら」と答えました。数字ではありませんでした。そして、なぜそう思うのかを聞いていくと、半年前に若手が一人辞めていて、辞める前にその話を誰も聞けていなかった、という経緯が出てきました。
研修を依頼する背景には、たいてい何かがあります。誰かが辞めた、部署同士でもめた、新しい組織に再編された。そのきっかけが言葉になると、その一日で何を動かしたいのかがはっきりします。逆に、そこが曖昧なまま当日を迎えると、プログラムは盛り上がっても、狙う先がありません。目的が定まらないまま実施された研修が何を残さないかは、以前に別の記事でも書きました(参考:なぜ次世代リーダー育成は失敗するのか|元自衛官が見てきた5つの現実)。
研修が触れられるのは関係の質です。事前の打ち合わせでやっていたのは、その関係の質のどこを、誰と誰の間で動かしたいのかを決めることでした。
この会社の場合は、事業部長と若手の間です。だとすれば、二人は同じチームに入っていなければ意味がありません。
ここで、よく迷われるのが上の立場の人の扱いです。
役員や部長は、研修には顔を出すけれど後ろで見ている、という形になりがちです。気持ちは分かります。自分が入ると部下が遠慮する、と考える方も多い。
ただ、見ている人がいる場で、参加者は本当のことを言いません。評価されていると感じるからです。反対に、部長が同じチームに入り、最初の対戦で真っ先にやられて、若手に「部長、次は後ろにいてください」と言われる。そういう場面が一度でも起きると、空気が変わります。上下の関係が崩れるわけではありません。その関係のままでも言っていいことがある、と全員が知るだけです。
先ほどの事業部長は、当日、若手と同じチームに入りました。そして一戦目で最初に撃たれました。
もう一つ、事前に決めておくことがあります。参加者に、この一日をどう伝えるかです。
案内文が「親睦を深めるためのレクリエーション」になっていると、参加者はそのつもりで来ます。楽しむ場としては成立しますが、その先には進みにくい。かといって「組織課題の解決のための研修」と書くと、今度は身構えます。
うまくいった会社では、事前に役員から一言、参加者に向けたメッセージが出ていました。なぜ今この研修をやるのか。何を期待しているのか。これは業務の一環として時間を取っている、ということ。長いものではありません。数行です。それでも、参加者が当日をどういう場として受け取るかは、そこでかなり決まります。
そして最後に、これが一番抜けやすいのですが、研修が終わったあと何をするかを、当日より前に決めておくことです。
冒頭の製造業の研修では、ここが決まっていませんでした。終わってから考えればいい、と私も担当者も思っていました。実際には、終わったあとはそれぞれ通常業務に戻り、考える時間はほとんど取れません。気づいたら3ヶ月経っていました。
事業部長の会社では、研修の翌週と一ヶ月後に、同じメンバーで短い振り返りの時間を取ることを、打ち合わせの段階で決めていました。当日の中身より先に、その日程を押さえていました。
研修当日は、全体の中の一日です。その前に何を決めたかで、当日に起きることの意味が変わります。そして、その後に何をするかで、起きたことが残るかどうかが決まります。
研修の翌週に、何が起きるか
研修が終わった次の月曜日を想像してみてください。
週初めの定例会議です。先週の研修で作戦を出した若手が、議題の途中で何か言いかけます。そのとき部長は、次の打ち合わせの時間を気にしていて、「それはあとで」と話を先に進めます。悪気はありません。本当に時間がなかっただけです。
若手はそれ以上言いません。そして、たぶん次の会議でも言いません。
研修当日にできるのは、受け止められる経験の一回目をつくることまででした。二回目は職場でしか起きません。そして、二回目が起きるはずだった場面は、たいていこういう何でもない月曜日にやってきます。誰も意識していないうちに来て、誰も気づかないうちに過ぎていきます。
人は学んだことを、思っている以上に早く忘れます。これは心理学で古くから確かめられてきたことで、覚えた直後から記憶は急速に薄れていきます。研修で感じたことも例外ではありません。一週間もすれば、何を感じたかは覚えていても、そのとき何をしようと思ったかは曖昧になります。
一方で、新しい行動が身につくまでには時間がかかります。ロンドン大学の研究では、新しい習慣が自然にできるようになるまでに平均でおよそ二ヶ月、人によっては数ヶ月かかったと報告されています。
忘れるのは速く、身につくのは遅い。この差を埋めるのが、研修後の三ヶ月ほどの期間です。ここを何も設計せずに通常業務に戻せば、研修で起きたことは、ほぼ確実に元に戻ります。冒頭の製造業の会社で起きたのは、まさにこれでした。
事業部長の会社では、研修の翌週に三十分だけ、同じメンバーで集まる時間を取っていました。
そこで聞いたのは、研修の感想ではありません。「あの日から今日まで、職場で何か違ったことはありましたか」という問いです。
最初は誰も答えませんでした。しばらくして、ある社員が「会議で、前より少しだけ話しやすかった気がします」と言いました。事業部長はそれを聞いて、「そうか、それは自分も気づいてなかった」と返しました。
大きなやりとりではありません。ただ、この会話そのものが二回目になっていました。言ってみたら受け止められた、という経験です。
研修後の設計で意識しているのは、特別な場を増やすことではありません。すでにある場に、少しだけ差し込むことです。
たとえば、研修の最後に一人ひとつだけ、職場でやることを決めてもらいます。大きな目標ではなく、明日からできる小さな行動です。会議で一回は自分から発言する。朝、部署の違う人に自分から声をかける。そういう程度のものです。
それを本人の手元に残すだけでなく、上司にも共有しておきます。研修の感想文を書いてもらう場合も、提出先に本人の上司を入れておく。そうすると上司は、部下が何をしようとしているかを知った状態で月曜日を迎えることになります。会議で若手が何か言いかけたとき、「それはあとで」と言う前に、一瞬思い出せるかもしれません。
振り返りの場も、新しく会議をつくる必要はありません。週の定例会議の最初の五分でも、月に一度の部会の一議題でも構いません。大事なのは、三ヶ月のあいだ途切れずに続くことです。
もう一つ、続けていると必ず出てくる言葉があります。
「忙しくて、できてないです」
ここでの受け止め方で、その後が分かれます。できていないことを責めると、次からは誰も正直に言わなくなります。報告が上がらなくなる構図と同じです。うまくいっていた会社では、この言葉が出たときに、どうすればできるか、周りが何を手伝えるかを一緒に考えていました。できていないことを言える場であること自体が、関係の質の三段目です。
研修後の三ヶ月は、研修で起きたことを職場で繰り返す期間です。そして繰り返されるのは、会話の中身よりも、言ったことが受け止められるという経験のほうです。
ここまで書いてきて、一つ疑問が残るかもしれません。事前の設計と事後の積み重ねが大事なら、当日は何をやってもいいのではないか。
そうではありません。当日に何が起きるかで、その後に繰り返せるものが変わります。
なぜ、体を動かす必要があるのか
会議室で「本音を言ってください」と言われて、本音を言える人はほとんどいません。
言葉を選ぶ時間があるからです。相手の反応を想像し、立場を考え、無難な表現に置き換えてから口に出す。これは悪いことではなく、社会人として身につけてきた技術です。ただ、その技術が働いているあいだは、関係の質はなかなか動きません。
体を動かす研修が意味を持つのは、この言葉を選ぶ時間がなくなる瞬間があるからです。
レーザー銃を使った対戦では、開始の合図から数分で勝負がつきます。前に出ている人が相手を見つけたら、その情報をすぐ後ろに伝えなければ、チームは挟まれて全滅します。「右から二人来てます」と叫ぶのに、役職も遠慮も挟む余裕はありません。普段は部長に敬語で話している若手が、部長に向かって「下がってください」と言う。言われた部長も、考える前に下がっています。
そこで出てくる声や判断は、その人がふだん職場で持っている癖に近いものです。誰が先に声を出すのか。誰が黙って周りを見ているのか。やられたとき、誰が人のせいにして、誰が次の作戦を考え始めるのか。取り繕えない状況では、それがそのまま見えます。負荷のかかる状況で人の本来の姿が出るという点は、軍隊式の訓練にも共通しています(参考:軍隊式研修の効果と内容|現場力を鍛える次世代リーダー育成法)。
報告が止まったときの結果も、対戦の中では数分で返ってきます。前線の情報が後ろに届かなければ、負けます。誰かを責める前に、全員が「さっき、どこで情報が止まったか」を考えることになる。職場で何ヶ月もかけて表に出てくることが、一回の対戦で目の前に現れます。
しかも、ここでの失敗は何も壊しません。撃たれても痛くないし、誰の評価も下がりません。三段目に進むには、ぶつかって、それでも関係が壊れなかったという経験が要ります。体を動かす研修は、それを安全に起こせる数少ない場だと思っています。
一日の中で、作戦を立てて、動いて、結果が出て、振り返る。この流れを何度も繰り返せることも大きい点です。関係の質が一日で二段上がらないことは変わりません。ただ、受け止められる経験の一回目を、一日のうちに何度も積むことはできます。職場に持ち帰れる材料が、それだけ増えます。
私がこの研修の原型に出会ったのは、高校二年生のとき、カナダで体験したレーザータグでした。
同じチームになったのは、その日初めて会ったカナダ人と日本人たちです。私は英語は日常会話くらいしか話せませんでした。それでも、身振り手振りで伝え、通じないと分かっていながら日本語でも話しかけ、相手も母国語のまま何か言ってくる。そういうやりとりを繰り返しているうちに、なぜか言いたいことが分かるようになっていきました。同じ目的を共有していたからだと思います。どこから敵が来るかを伝えたいのか、下がれと言っているのか、それは言葉がなくても伝わりました。
年齢も性別もばらばらでした。子どももいれば、かなり年上の人もいる。それでも全員が同じ条件で戦っていました。球技では、こうはなりません。体格も運動能力も違う人間が、ハンデなしで対等に組めて、対等にやられる。あんな場は他に知りませんでした。
終わったあとの一体感は、今でも覚えています。数十分前まで名前も知らなかった人たちと、何かをやりきったという感覚がありました。言葉で打ち解けたわけではありません。同じ状況で同じ判断を迫られたことで、先に体が近づいていた。あの感覚が、今の仕事の出発点になっています。
とはいえ、体を動かせば何でもいいわけではありませんし、戦闘型の研修がすべての会社に合うとも思っていません。ここまで書いてきたとおり、当日の中身は全体の一部です。事前にどこを動かすかを決め、事後にそれを繰り返す。その設計の中に置かれたとき、初めて当日の体験は意味を持ちます。
冒頭の製造業の研修で、あの若手が作戦を出した瞬間は本物でした。足りなかったのは、それを受け止める二回目を、誰も用意していなかったことだけです。
研修を変える前に、研修の前と後を変えてみてください。当日の一日は、それだけで別のものになります。
研修の前後の設計から一緒に考えたい、という方は、無料相談でお話を聞かせてください。
コメントを残す